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interview #09 廣瀬隆喜

廣瀬隆喜選手がボッチャと出会ったのは18歳のとき。ビームライフルや陸上など、さまざまなスポーツにチャレンジしたのちに辿り着いたボッチャは、18年も続いている。リオデジャネイロパラリンピック後に磨いた技で、東京パラリンピックでも連続メダル獲得を狙う。チームを牽引するリーダー的存在の廣瀬選手に、ボッチャへの思いや今後の目標についてもお話を伺いました。

氏名:       廣瀬 隆喜(ひろせ たかゆき)
クラス:    BC2
生年月日:  1983年8月31日
出身地:    千葉県
所属:       西尾レントオール株式会社
主な成績:
・第 13 回パラリンピック競技大会(2008/北京)出場
・第 14 回パラリンピック競技大会(2012/ロンドン)出場
・第 15 回パラリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)出場団体銀メダル
・Bisfed2017 アジア・オセアニアチャンピオンシップ香港大会 団体銀メダル
・Bisfed2017 ワールドオープン バンコク大会 団体金メダル
・Bisfed2017 ワールドオープン バンコク大会 ,個人出場
・世界選手権 2018 団体銀メダル
・Bisfed2017 ワールドオープン ドバイ大会 団体銀メダル
・日本選手権 8 回優勝 (2006~2009・2011・2014・2016・2019)

――まずは、廣瀬選手のボッチャとの出会い、そして始めたきっかけを教えてください。

廣瀬選手:運動自体は小学校から好きだったんですけど、普通学校だったので、なかなか健常者の方々と同じようにはいかず、運動会もハンデをつけたかたちで行っていました。それもあって何かにのめり込むまではいかなかったんです。でも、中学校から特別支援学校に移ってからたくさんスポーツにチャレンジしました。中学時代はビームライフルで、高校からは陸上を。卒業してからも、何かスポーツを続けたいと学校の先生に相談をしたところ、ボッチャを勧められたんです。それで、高校3年生の夏からボッチャを始めました。

――いろいろなスポーツを経験されたんですね。陸上やビームライフルを続けなかった理由はあるのですか。

廣瀬選手:ビームライフルとか陸上は、結構集中力とか持久力とかを求められると思うんですけど、それが自分の思うようにできなかった部分でもありました。また、思うような結果が残らなかったっていうのもありました。あと陸上に関しては、私は生まれつきの障害を持っているので、年々筋緊張などがあってうまくタイヤを回せないというのもありました。それで陸上も続けるかどうかを悩んでいて……。そのまま陸上を続けることもできたんですけど、もしかしたらほかに何かしら自分にもっと一致してるというか、自分に合うスポーツがあるんじゃないかと思っていたんです。そこで色んな先生を通して相談していったときに、ボッチャを勧められて、それからハマった、という感じですね。

――リオデジャネイロパラリンピックでのメダル獲得を経て東京パラリンピックへ挑戦ということになります。心境的でも技術的でも、何か前回大会との違いなどがあれば教えてください。

廣瀬選手:まず環境からに関しては、リオデジャネイロパラリンピックのあとにお話をいただいて、今所属している西尾レントール株式会社さんでアスリート雇用をしていただけました。私の仕事としては広報担当というかたちで、広告塔としてボッチャをやること。それが大きく変わったところだと思います。もうひとつは、リオデジャネイロパラリンピックから1年後かな、バンコクオープンのあたりから“チーム廣瀬”を立ち上げました。コーチやトレーナー、映像分析からマネジメント、栄養サポートや車いす業者さんにも入っていただいて、まさに一丸となって、“チーム廣瀬”を立ち上げてトレーニングに励めるようになったのが、大きく変わったことですね。

――周りの環境も大きく変わりましたか。

廣瀬選手:そうですね、やっぱりメダル取ってから周囲の方々のボッチャ対する知識とか周知などが大きく変わりました。メダルを獲る前は「ボッチャってなに?」から始まって、競技の説明をしなければ分かってもらえません。それに練習場所を借りるのも、説明からしないといけませんでした。でもメダルを獲ってからは「頑張ってね」とか「応援しています」とか「ボッチャの方ですよね」などと声をかけていただけるようにもなりました。それが競技面以外では大きく変わったことですね。

――なるほど。周囲からの期待もあるなかで迎える東京パラリンピック。ある意味新しい挑戦になると思いますが、メダル獲得への自信はいかがですか。

廣瀬選手:そうですね。本当にファンの皆さんから温かいご声援をいただけることは、自分自身だけではなく、火の玉ジャパン全体の力となっています。応援してくださっている皆さんには、やっぱり結果で恩を返すことしかできないと思うので、皆さんに良い結果を伝えられたら良いなと思っています。

――廣瀬選手が試合で高いパフォーマンスを引き出すために、大事にしているルーティンなどはありますか。

廣瀬選手:食べ物で言えば、遠征行く前とか日本選手権前とかは、活力になるものを食べますね。あとは試合中のルーティンとしては、ジャック、練習球を全部投げたあとに、後ろを向いて、国旗を口元に持っていって「自分は勝てる、勝てる」って言いながらほっぺたを何回か叩く、というのはやっていることですね。

――廣瀬選手ご自身のストロングポイントを教えてください。

廣瀬選手:相手がジャックにベタづきしたところで、味方がジャックに寄せやすいように前を開ける、ヒットという技があるんですけど、そういう強い球で相手の球を動かす、ということがチームから求められていることでもありますし、自分の持ち味なんじゃないかとも思っています。

――東京パラリンピックを見てくれている人たちに、自分のここを見てほしい、というところがあったら教えてください。

廣瀬選手:ヒット以外になると、リオデジャネイロパラリンピック後から、メディアさんから雄叫びを要求されることがありまして……(笑)。後々やりすぎたなって思ってるんですけど、でもやっぱり良いパフォーマンスが出れば雄叫びは出てしまうので、そういう力強さも見てもらえたら。また、リオデジャネイロパラリンピック後から自分も色んな技を習得しているので、それもぜひ見てもらいたいなと思います。

――火ノ玉ジャパンのテーマでもある『一丸』とは、廣瀬選手にとってはどういうイメージですか。

廣瀬選手:『一丸』というテーマは、非常に大切だと思っています。ボッチャはひとりではできないスポーツです。コーチやトレーナー、マネジメントの方だったり、映像分析とか栄養サポートだったり、本当に多くのスタッフに加わっていただいて、トレーニングをしている。それも私たちが一丸となっているところだと思いますし、やっぱりファンの方々、スポンサーの方々も含めて私たち火ノ玉ジャパンははじめて『一丸』になれると思っています。このテーマのもとでは、ひとりの考えではなく、ひとりのプレーではなく、皆と一丸となってプレーすることが大事なのかなというふうに思います。

――では最後に、ボッチャファンに向けたメッセージをお願いします。

廣瀬選手:メダル獲得後からボッチャの知名度が上がりました。東京パラリンピックでもメダルを獲得してボッチャブームを継続していきたいですね。本当は、どこでもボッチャをやれる、あそこ行ってもどこに行ってもボッチャのボールが置いてあるというか。草野球や草サッカーのように、ボッチャも手軽にいつでもどこでもできる世の中にしていけたらうれしいですよね。そのためにも、私たち選手、スタッフは、応援してくださる皆さんと一緒に一丸となって、東京パラリンピックを戦いたいと思っています。なので、皆さんの応援は間違いなく私たちの力になりますので、ぜひご声援をお願いします。

――ありがとうございました。

constitution 田坂友暁 / photo 松川智一 / interview 新井大基
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