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interview #10 杉村英孝

19歳で始めたボッチャは、最初は友達と一緒に遊ぶくらいのものでした。ですが、試合を重ねる内にどんどんその面白さに取りつかれ、いつしか競技者としての精度を高めていった杉村英孝選手。日本選手権5回も制した杉村選手は、東京パラリンピックでは3大会連続となる団体、個人でのメダル獲得を目指します。杉村選手のボッチャに対する思いをじっくり語っていただきました。

氏名:       杉村 英孝(すぎむら ひでたか)
クラス:    BC2
生年月日:  1982年3月1日
出身地:    静岡県
所属:       有限会社伊豆介護センター
主な成績:
・第 14 回パラリンピック競技大会(2012/ロンドン)出場
・第 15 回パラリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)出場
団体銀メダル 火ノ玉ジャパンキャプテン
・日本選手権3回優勝 (2012・2013・2015)
・BISFed2018 世界選手権リヴァプール大会 個人銅メダル
・BISFed2018 世界選手権リヴァプール大会 団体銅メダル
・BISFed2018 ワールドオープン ドバイ大会 個人銀メダル
・BISFed2019 アジア・オセアニアチャンピオンシップ 韓国大会 個人銀メダル

――まずは、杉村選手のボッチャとの出会い、そして始めたきっかけを教えてください。

杉村選手:ボッチャとの出会いは、高校3年生のときです。当時は病院に入院していたので、そこでの生活指導の先生からボッチャの国際大会のビデオを見せてもらったのが、初めてボッチャを知るきっかけでした。それで、静岡県内ではじめて大会が行われたんですけど、そこに友達に誘ってもらって出場しました。そこで団体戦で3位になったんですけど、負けて悔しかったという思いがあったんです。この悔しさていうのが、今に繋がっているのかなというふうに感じています。

――大会に初出場してから、日本選手権に出場するまではどのくらいの時間がかかったのでしょうか。

杉村選手:日本選手権に出るまでは、だいたい5、6年経ってからですね。それまでは県内の大会に年1回出場するペースで、正直ボッチャ競技をやるっていうよりも、友達と集まるためのツールとしてボッチャがあって、ボッチャをきっかけに外に出ようという感じでしたね。

――どのようなきっかけ、タイミングで本格的に競技を始め、日本選手権に出てみようと思われたのでしょうか。

杉村選手:県内で少しずつ良い成績を収められるようになってきて、関東圏の大会にも出るようになりました。すると、もっと強い相手と戦いたいな、とか、もっと上を目指してみたいな、という思いが少しずつ出てきたので、そこで日本選手権に挑戦してみよう、と決めた感じです。

――杉村選手は火ノ玉ジャパンのキャプテンを務められています。キャプテンとしての理想像や、何か意識していることなどはありますか。

杉村選手:キャプテンとしての理想像は、競技に取り組む姿勢を見てもらうということもすごく大事だと思います。あとはコミュニケーションであったり、周囲の方々とのパイプ役になれれば良いかな、と思っています。自分の性格的に物静かですし、言葉数も少ないほうですし、みんなを熱く引っ張っていくようなタイプではありません。でも、自分なりのアクセントで、ポイントでは言葉でチームの雰囲気を作ることができているかな、と思っています。そういうのが自分の存在の意味だと思いますし、いちばんはプレーを通してみんなを引っ張っていって、奮起させていこうという思いで試合には臨むようにしています。

――ちなみに、中村拓海選手は自分がいじられることで、火ノ玉ジャパンの良い雰囲気が作られている、と言っていました。

杉村選手:そうかなぁ(笑い)。でも、中村選手はみんなからも愛されていて、彼がいることですごくチームの雰囲気も盛り上がりますし、今の火ノ玉ジャパンにとっても大事なピースですね。はじめて代表チームに入ってきたときは、右も左も分からず、戦術的にも自分の意見を言うこともありませんでした。でも、ここ数年は中村選手自身も力をつけていますし、自信もつけてきていると思います。今では自分の考え、主張をしっかりと出してくれますし、それがチームのレベルアップにもつながっていると思っています。

――チームのなかでも若手の中村選手に期待することを教えてください。

杉村選手:中村選手の場合は、やっぱり思い切りがいちばん必要だと思います。なので、迷わずプレーをしてほしいですし、そこから生まれる“タクミラクル”をたくさん見せてほしいですね。

――あらためてになりますが、杉村選手のストロングポイントを教えてください。

杉村:自分には圧倒的なパワーがあるわけでもなく、特化した技術があるわけでもありません。でも、自分としての強みは、6球をいかに組み立てて、終わってみたらたくさん点を取っていた、みたいに、試合全体の配球に自信があります。その試合の組み立てで何が大事かと言うと、自分に何ができるのか、どういうプレーができるのかという、自分のことを知ることです。なので、常に自分と向き合いながらプレーをしているところが、自分の強みなのかなと考えています。

――リオデジャネイロパラリンピックでのメダル獲得は、ボッチャ界にとって大きな出来事だったと思います。あらためて、東京パラリンピックで期待することはありますか。

杉村選手:リオデジャネイロパラリンピック以降、さまざまなところでイベントや体験会が行われるようになってきました。5年前、10年前に比べると、ボッチャを取り巻く環境は大きく変わってきたと思っていますし、一過性で終わらせてはいけないと思っています。そのためにも、選手としては大きな大会で勝ち続けることが大事になってくる。やはり強い選手や勝てる競技に、世間の注目度は上がっていきます。ですから、東京パラリンピックにおいても良い成績を収めることで、リオデジャネイロパラリンピックよりもさらに注目度も上がってくると思いますし、それを競技力の向上につなげていけたら良いなと思っています。

――東京パラリンピックで、ご自身のここを見てほしいという部分はありますか。

杉村選手:そうですね……自分が投げる1球の意図というものを感じ取りながら見てもらえたら、ボッチャが面白く感じてもらえるのかなと思います。なので、選手が次はどんなふうに投げるのかな、とか、どこを狙っているのかな、ということについて、選手目線になって一緒に考えもらえたら楽しんでもらえるんじゃないかと思います。

――今回、火ノ玉ジャパン強化テーマに『一丸』があります。杉村選手にとっての『一丸』とは、どういうイメージでしょうか。

杉村選手:みんなひとつになって戦っていこうという思いが『一丸』には詰まっています。同じ方向、同じ目標に向かって、全員が共に突き進んでいこうという思いが込められていると私は考えています。そこで大切になるのは、自分の行動だけを考えるのではなく、ほかのメンバーのことや周囲の状況を見て考えて行動して、お互いをお互いに支え合ったり、協力し合ったり、高め遭ったりできるチームこそが、『一丸』となった強いチームだと思います。そういうところをコンセプトとして取り組んできましたので、日本チームは良い意味での仲の良さやチームワークといった強みを生かして、東京パラリンピックを戦い抜いていきたいと思います。

――最後に、ボッチャファンに向けたメッセージをお願いいたします。

杉村選手:こうして母国で開催されるパラリンピックに選手として出場できることに喜びがありますし、代表としての自覚と責任を持って戦っていきたいと思っています。いろいろな方に支えられて今の火ノ玉ジャパンがあります。そういった方々の思いも合わせて、『一丸』となって戦っていきたいと思っていますので、応援よろしくお願いします。

――ありがとうございました。

constitution 田坂友暁 / photo 松川智一 / interview 新井大基
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